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気まぐれ日記

 

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2008年10月31日(金)
早く立ち直りましょう

   チョコチョコ仕事をしていると、おふくろの事を
   考えずに済むので気分的にとても楽だ。

   先週の土曜日に お父さんを亡くされたという
   お客さんが『これきれいになる?』と古い写真
   を持ってきた。 『親父が写ってるから残して
   おきたい、』 「きれいにします、実は私も金曜
   日におふくろを亡くし、写真探しをしてるとこ。」

   『親が亡くなるのは辛いよね、』「孝行できんか
   った事を後悔してます。」『そうよ、それ、それ、   
   そうじゃとよ。』    できあがった写真を見て
   
『これなら親父の顔がよう解るね、』とニッコリ、
   〝写真屋をしていて良かったな〟と思う瞬間、
   Hさん、お互い早く立ち直りましょうや !!!


   まさきが『米が無くなったから、』と帰ってきた。
   我が家の分も来週までしかない、北郷に買い
   に行くにも国道が土砂崩れで通行止め、遠回
   りをしないと・・・よだきィー

   困った時の友頼み、「来週買ってくるまで息子
   が持って行く分だけ米貸して」
とNさんに電話。  
   持つべきものはやはり
友達、間に合わせる事
   ができた。
   Nさん ありがとね、助かっした。

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2008年10月30日(木)
初七日

          おふくろのミシン
   このミシン何目?何目のミシンだろう?
   おふくろは朝から晩迄何10年もこのミシンを
   踏み続け、私たち姉弟を育ててくれた。  
   貧乏暮らしの我が家には 自慢できる事は何
   も無かったが、学校に雑巾を持って行く日だ
   けはおふくろが縫った雑巾を自慢気に持って
   行った、誰にも負けないおふくろの雑巾を・・
   このミシンは形見に貰う予定。

   早いものでもう初七日、
   「今日はもう初七日じゃが、写真飾っといて」
   『え、もう初七日かね?早いねェ』「写真飾っ
   といて、」  自宅に戻るとおふくろが部屋を見
   渡すように、特等席に鎮座していた。
   おふくろ、頼むかいみんなを守ってくれよ。

   実家から持って帰った鉢植え、 昨年から手
   入れしてなくて元気が無い。
   〝これはもうM先生に頼むしかないな。〟
   M先生にお願いをしたところ 快く引き受けて
   くれた。     先生ありがとうございました。

   おふくろ、心配せんでも代わりにちゃんと育
   てるかい、安心しときない、

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2008年10月29日(水)
おふくろが我が家へ

         おふくろと弟とわたし
    小さな箱に入って我が家に戻ったおふくろ
    もういっぺん声が聞きたいな、
    カラオケのカセットがあるかも知れんから
    今度ゆっくり探しに来よう。

    〝とんぼ〟さんのメニュー、気になってしょう
    がない。 
    店に行き、奥さんに恐る恐る聞いてみた。
    「メニューどんなですか?」『評判がいいよ、
    みんなが〝きれいなメニューね。〟って喜
    んでるよ、ありがとう。』「良かったー。」

    「おふくろ、見送る事ができなかったけど
    こうしてお客さんが喜んでくれたんやから
    怒ってないよね、喜んでるやろ?」

   
    知人と話した、
   
「男が、おふくろが死んだからと言っていつ
   
までもクヨクヨしてるのは女々しいかねェ、」
    『そんなことはないよ、 親が亡くなるっての
    はいくつになっても辛いもんじゃよ。』

   
「じゃよね、僕はおふくろはいつまでも死な
    んもんや思ってたもんな。 しかし人間の命
    なんてのはあっけないもんじゃね、 ある日
    突然ポーンと逝ってしまうんやもんね、」
   
『はよー元気出しないよ。』「ありがとうね。」  

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2008年10月28日(火)
おふくろの庭

           おふくろの庭
 おふくろがいつも花を咲かせていたちいさな庭も
 家主が居なくなり1年4ヶ月、枯れて寂しい。
 代わりに育ててみようかと車に積めるだけ5鉢を
 持って帰ってきた、「おふくろ僕がちゃんと育てる
 
から心配せんで、いつか残りも取りに来るから。」

 おかげでチョコチョコと仕事があり 寂しさもまぎれ
 助かった、友人達も励ましてくれので悲しんでる
 暇が
ない、ありがたいことだ。

 息子たちも泣かせようとしたり、笑わせてくれたり
 ありがとうね、お前たちが息子でとうさん幸せじゃ。

 ひろきとの話
 「とうさん、ふる里が無くなった。」『椎田の家があ
 るがね。』「家はあってもおかあさんがおらん,家
 でおかあさんが待ってくれてたからふる里なんや
 から。」『そうやと?』「そーよ、お前たちのふる里
 は門川じゃから、お前たちがいつでも帰れるよう
 かあさんととうさんが守っちょくかい心配すんな。」

 『うん、わかった。』    守りきれるかな???
 おふくろ頼む、どうか見守っていてください。

 おふくろを一人きりにするのが忍びなく、ふる里
 に残したままの本籍もこちらに移そうかと思う、
 おふくろのいないふる里はふる里じゃないから、
 少し淋しい気もするが・・・・・

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2008年10月27日(月)
おふくろがふる里へ戻ってきた。

    昨年6月24日、千葉へ旅立った時の
    おふくろの思いを書いたものです。

 AM5時前、みずき・ヒロキと3人で我が家を出た。
 おふくろが帰ってくる、やっと椎田に戻ってくる。
 北九州空港まで その出迎えに・・・・・

 千葉でお葬式をしても知らない人ばかり、椎田で
 しても おふくろの知人はもう高齢の人が多く、呼
 んでも呼ばれた人は迷惑だろう、という事で葬儀
 はしない事になった。 
 その代わり
おふくろがあれほど帰りたがっていた
 我が家に連れて帰り、見せてから博多のお寺に
 行こうという
事で弟は北九州空港に降りる。

 昨年の6月24日、千葉へ向かう為 弟に連れら
 れてこの空港から旅立ったおふくろが1年4ヶ月
 ぶりに ふる里に戻って来た。
 あの日と同じように弟と二人、ほぼ同じ時刻に。

 違うのはおふくろが小さな箱に入っていること、
 弟が
『ここからは兄さんが抱いてくれ、』小さな
 箱を抱えようとした時、また涙が出そうになった。
 息子が横に来て
『とーさん、もう泣きなんな・・』
 我慢した、辛かったけど我慢した。

 椎田の我が家へ戻り、写真を撮り博多へ・・・・・
 お寺さんの手配は姉がすませ待っていた。
 苦労苦労の連続だったおふくろも、これでやっと
 苦労から開放される良かったね、
 お母さんと二人で幸せに、楽しくの~んびりと思
 い出話でもすればいいが・・・・・また来るかいね、
 今度はみんなで来るかいね。
 終わると弟は空港へ、私たちも後は姉に頼み
 
帰途についた。
 
 帰りは熊本回り、「竹の倉山荘の露天風呂に
 かって帰ろうか?」
『いいねー』「いっぺん星を
 めながら露天風呂に浸かりたかったとよ。」
 
ひろきが『ばあちゃんも星んなったっちゃね、』
 ひろき、お前はとうさんをまた泣かせるとか、

 門川着10時半、総走行距離720キロ、疲れた。 

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2008年10月26日(日)
おふくろの写真選び

       おふくろが花の種をまいた庭
 〝とんぼ〟さんのメニュー、最後の仕上げで悩んで
 いるとN夫妻が、差し入れを持ち店に来てくれた。
 これ幸いと引き止めて、帰さずに手伝わせ やっと
 完成、明日の開店に間に合いホッとした。
 
 おふくろの火葬、立ち会えなかったけど『いい物が
 できたね。』と喜んでくれてるよね、きっと・・・・・
 
 早速届けると『ウワーッ、きれー!!』と喜んでくれて
 ホッとした、ありがとうございました。
 あとはお客さんの反応かどうか? これが難しい。

 メニューを仕上げている間は おふくろのことは考
 えずに良かったが、遺影用の写真選びをしている
 といろんな事を思い出し辛くなってきた。
 今更後悔しても遅いが、もっと親孝行しとけばよか
 った、連れて行きたいとこもいろいろあったのに。
 遺影は青島のバラ園で写したものに決定 !!!
 バラの花が好きだったおふくろ、 たくさんのバラの
 花で飾ってあげた、「おふくろ、きれいやろーが、」
 
泣いたらいかんとわかっていてもまた涙、つらい。
 
 明日の福岡行きは4時起き、体調が悪く行けない
 嫁さんの代わりにヒロキが行ってくれると言う。
 明日は早いから早く寝ろ、私も珍しく早く寝た。

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2008年10月25日(土)
おふくろ、ごめんね。

          おふくろの孫たち
 8時半過ぎみずきより電話
 『とうさん、これが最後よ。 ばあちゃんの耳元に
 携帯あてるから、いっぱい話をするといいよ。』

 いっぱい話しかけた、いっぱい謝った、いっぱい
 感謝の言葉をかけた、そして思いっきり泣いた。
 見送る事ができなかったけど ごめんね、と・・・
 みずき とうさんを泣かせるな、でも ありがとね。

 まさきからも電話、
 『とーさん、俺泣かんからね。  泣かんで、笑って
 ばあちゃんを見送ってやるからね。とーさんももう

 泣きなんな。』「オウ、お前のそん笑顔で見送って
 やってくれよ、頼んだぞ、」『まかしちょけェーィ !!』
 まさき 笑顔で頼むぞ、ありがとね。
 
 おふくろが逝って寂しいが、この優しい素晴らしい
 息子たちが悲しみを癒してくれるでしょう。
 とうさん、お前たちが息子で最高に幸せもんじゃ。

 仕事がたくさん貯まっており、夕方まで寂しがって
 いる暇など無くて良かった。 

 
 甥っ子の、ばあちゃんの面倒良く見てくれ
 感謝してるよ、ほんとうにありがとね。
 おとうとのM、嫁の子さん随分と苦労かけたね、
 いくら感謝しても したりないけど、ありがとう。


 夜7時過ぎの飛行機で戻ってくる、嫁さんや息子
 を迎えに空港へ。  嫁さん疲れがでたのか頭が
 痛くSNAさんの事務所で横になっていると電話。
 
SNAさん、お世話になりました。  感謝です。

 少し良くなってから、「感謝の気持ちを込めて み
 んなで食事をしたいとよ、」と私の希望で市内の
 レストランへ。 嫁さんみずきまさきヒロキ
 ほんとうにありがとね、おかげで ばあちゃんは喜
 んで天国に逝ったと思う、ありがとう。


 まさきは宮崎駅から電車で都城へ、
 一人で帰らせるのはしのびないが、しょうがない。
 送ってやりたかったが遠いもんな、ごめんね。

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2008年10月24日(金)
おふくろが逝った。
   おふくろがいつも座っていた公園のベンチ

       24日の思い出しながら書きます。

 AM4時過ぎ看護師さんに起こされた。

 『家族の方たちを呼んで下さい。』それが何を意味
 しているのか、TVなどで見て解ってはいたが自分
 が言われるなど思ってもみなかった。
 みんなが集まり先生から説明、『電気ショックをあ
 てても間隔が短くなり、もう効かなくなっています。
 どうされますか?』 弟は『これ以上苦しめたくない
 できれば静かに逝かせてあげたい、』 私も同意、
 みんなもうなづいた。 そ の後呼吸器や管を取り
 外され一人部屋に移されたおふくろ、看護師さん
 の『みなさんで声をかけてあげてください。』 の
 言葉に、みんなで心置きなく呼びかけて泣いた。
 泣いて泣いて泣いて、泣いて泣いて・・・・
 見えるのか わかるのか、呼びかけに時々目を開
 けうなづいてくれるおふくろ、嬉しくてまた泣いた。

 9時過ぎ、TVの一場面のように心電図の緑の線
 のリズムが止まった。  9時7分、私の人生の中
 で多分1番忘れられない時間になるだろう。
 みんなに見守られて、おふくろ良かったね。
 
『お母さんはお兄さん達が来るのを待ってたくれ
 
てたんでしょうね。』「そうやね、待ってくれてたっ
 
ちゃね。」おふくろ、最後まで心配かけてごめん。
 悔しかった、弟夫婦に任せっぱなしで何もしてや
 れなかった自分が歯がゆかった。
 〝さよなら〟は言わなかった〝いってらっしゃい〟
 と言いたかったから、 だがそれも言えなかった。

 一生懸命がんばったおふくろ、みんなで『母さん
 ばあちゃん、ようがんばったね。』と、また泣いた。
 「おふくろ、ほんとにようがんばったよね。」と弟と
 また泣いた。   おふくろありがとうね。
 一旦部屋を出て その後、薄くきれいにお化粧を
 されたおふくろと対面「これがおふくろの顔じゃね
 これがおふくろよ」『いつものお母さんの顔よね、』

 病院を出て、いつもおふくろが遊びに行っていた
 という公園をまわってもらい弟の自宅へもどった。
 自宅で眠るおふくろの周りにみんなで輪になって
 思い出話。  千葉に行ってからの1年4ヶ月の話
 を弟夫婦に聞いた。 よう面倒見てくれたね、大変
 やったね、長男がなんもしてやれんでごめんね。
 弟、弟嫁のS子さん、甥っ子達にただただ感謝!!

 公園のベンチに座りいつも2時間ほど過ごしてた、
 孫たちと庭に花を植え喜んでいた、リハビリの為
 ぬり絵や漢字、算数のドリルをさせていました、と
 弟の嫁が 美しく塗られたぬり絵やドリルを見せて
 くれた。 「おふくろ、ようがんばってたっちゃね、」
 『がんばってましたよ。』と、一番苦労をしていた
 はずのS子さんが笑顔で話してくれた、ありがとう。
 一生懸命に色を塗るおふくろの姿が目に浮かぶ、
 「このぬり絵とドリル 形見にほしいから、くれよ。」
 
おふくろの努力の証し、大事にしまっておこう。

 その後小雨降る中、おふくろがよく行ったという
 公園に行き、座っていたと思われるベンチを写し
 孫と花の種を植えた庭を写し(なんの花だろう?)
 思い出を写真に残してやる事くらいしかできない、
 涙をこらえてシャッターをいっぱい押した。

 どうしてもはずせない仕事がある私と学校を休め
 ないヒロキは明日の火葬は弟家族、嫁さん、息子
 に頼み今夕帰ることにした。  冷たい息子と思わ
 れるかもしれないが、祖母が亡くなった時に私に
 おふくろは言いました『仕事が忙しい時だから来
 んでもいい、亡くなった人より生きてる人の生活の
 方が大事。あんたには養わんといけん家族がいる
 んよ、仕事を休んでまで来んでいいから。 暇な時
 に来て線香をあげ
てくれればそれでいいから。』 
 だからおふくろは多分喜んでくれていると思う。 
 「そうじゃろ?おふくろ、明日は見送ることができ
 んけど、許してくれるやろ、ごめんね。」

 ヒロキと二人、3時の電車に乗り羽田へ・・・
 宮崎PM7時半着、ここから門川まで車で2時間。

 帰りの車中で私がため息をつくとヒロキが
 『とーさん、悲しいのは解るけど ため息ばっかり
 つきなんな、ばあちゃん苦しかったとに一生懸命
 がんばったとよ〝ようが
んばったね〟ってほめて
 やらんといかんがね。』
「じゃったね、そうじゃった、
 ようがんばったちゃもんね、ほめてやらんとな。」

 しばらくするとケータイから〝川の流れのように〟
 が流れてきた「どうしたもんか、そん歌は、」『この
 歌、ヒロキが小さい時にばあちゃんがよう唄ってく
 れ
たとよ。』どうやら私を元気づける為 今、ダウン
 ロードをして聞かせてくれたようだ、ありがとね。

 「ベットに寝ちょったばあちゃんは悲しいくらいに
 小さくなってたわ。」『うん俺それわかるよ、』「?」
 『だって今日ばあちゃんの顔の横で泣いちょった
 とーさんの背中がよ、初めて小さく見えたとよね。
 とーさんが泣くのも初めて見たが。』 お前はね・・・
 「そうよ男は泣いたらいかんかい、とうさんは泣か
 んかった、涙はばあちゃんの為に残しちょったと。
 お前も母さんの為に残しとけ、」
ウンわかった。』
 「とうさん、お前が寝た後また泣くかも知れん、」 
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2008年10月23日(木)
おふくろにやっと会える。

  おふくろに見せてやりたかったカタクリの花

 「AM9時の羽田行きに乗るから早く起きろよ、」
 言ったにもかかわらず起きてこない長男と三男。
 7時過ぎに門川を出たが間に合いそうにない、
 「まさきは夜勤明けやとにそのまま空港に行ったん
 やぞ!!」と車中でみずきとヒロキに文句を言うが笑っ
 てごまかす二人。  空港着が9時15分でアウト。

 12時過ぎの更に変更、羽田着2時頃だったかな?
 38年ぶりの東京の空は小雨で煙っていた。
 弟に言われたとおりに京浜電車に乗り1時間40分
 「早く着け、早く着け、」と願うばかり。
 駅に着くと甥っ子二人がが迎えに来てくれていた。
 22~3年ぶりの再会だがすぐに解り さっそく病院
 へ連れて行ってもらう。    弟夫婦が迎えてくれ
 病室へ・・・・・。     集中治療室のベットの上に
 呼吸器や管をつけたおふくろが横たわっていた。
 ピコーン・ピコーンと心電図の音が響きわたり悲し
 みが増してゆく、 涙が止まらなかった。
 嫁さんや息子たちも『お母さん!!』 『ばあちゃ~ん、
 来たよ!!』と大きな声で呼びかけて涙を流している。

 仕事があり今夜とんぼ返りの予定でいたが、着く
 のが遅くなり明日に変更し、ずっと付き添ってくれ
 ていた弟夫婦に代わり嫁さんと二人でときそう事
 にした。 消灯後に院内に鳴り響く、おふくろにつ
 けられている心電図の機械の音がやけに大きく
 聞こえ、リズムが乱れる度に「もしや、」と心配に、
 がその心配も睡魔には勝てなかった。

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2008年10月22日(水)
明日おふくろに会いに来て

              ウド
          (撮影場所:M先生方)

     昨日千葉の弟から電話、
     おふくろが心筋梗塞で入院したからと、
     今日は『明日会いに来てやってくれ、』
     と涙声で・・・・だいぶ悪いらしい
     元気なおふくろに会いたかったけど・・
     
     ず~っと一人ぽっちで暮らしていた母、
     こんな時くらいはみんなの顔を見せて
     やりたい、元気になってくれるかもしれ
     ない、元気になってほしい。

     親不孝な息子のせめてもの親孝行、
     明日みんなで会いに行ってきます。


     〝気まぐれ日記〟2~3日休みます。

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2008年10月21日(火)
空回り

            名前は???
          (撮影場所:北郷村)
      最近は名前の解らない花ばかり
      花が少なく困っています。

     Uさんが奥さんから頼まれた写真の
     焼き増しに来てくれた。
     「Uさん、いい話が全然無いですけど
    
 これからどうなるんですかね?」
     『今はみんなが苦しんどるよ、あんた
     だけじゃないよ、あんたが〝負けたら
     いかん自分の心に、負けたらいかん
     世の中に〟って書いてるじゃろがね、
     そのとおりじゃ、がんばりなさいよ。』


     「一生懸命生きてるけど すべてが空
     回りしてるような気がしているんす。」

     『そんな事はない、家族は見てくれて
     るよ。わたしは家族を幸せにしたいと
     一生懸命がんばってきた、おかげで
     一文無しから会社を立ち上げる事も
     信用もできたが、そりゃ苦しかったよ
     じゃけど家族がおったからがんばれ

     た。』「僕も家族を幸せにしたいと思い
     一生懸命やってるんですけど・・・・。」
     『弱気になったらいかん、心配せんで
     も がんばって、正直に感謝の気持ち
     を忘れず生きてりゃ、きっといい事が
     あるから。 今度奥さんつれて飲みに

     来なさい。』「僕全然飲めないです。」
     『それじゃぁ 遊びに来ればいいよ。』

     30分位、元気になる話をしてくれた。
     「すばらしい話を聞かせてもらい元気
     が出ました、ありがとうございます。」
     
他にもいい話がたくさんあったが全部
     書ききれないのが残念です。

            終わります。     

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2008年10月20日(月)
藤 圭子

           名前は???
           (撮影場所:我が家)
          花? 草?我が家の
          庭にはびこっている。
  
    最近〝音楽のある風景〟という番組を
    よく見ている。
    〝青春編〟や〝古きよきアメリカ〟など
    当時の懐かしい映像と 曲(歌)が流れ、
    一緒に歌い涙が出そうになる。
    昨夜は昭和40年代、
    41年、布施明の〝これが青春だ !!〟
    十代にさよなら、の年。   
    42年〝世界の国からこんにちは〟と
    〝世界は二人のために〟私は二十歳
    古池レコード店に入った年。

      名古屋物語~レコード店編~
    忘れられないのが45年の藤圭子、
    〝圭子の夢は夜ひらく〟この曲がヒット
    した後、レコード会社のセールスマンが
    藤圭子に会わせてくれると言う。
    馴れぬカメラを持ち、胸をドキドキさせ
    ながら古池レコード店の社長と 三重県
    の長島温泉へ・・・・・
    ショーを見た後に楽屋へ向かう、
    向こうから黒い着物を着た、芸子さん
    姿の本物の藤圭子が近づいて来る、
    「ワァー本物、レコードジャケットよりTV
    よりきれいや、」とドキドキ !ドキドキ !!
    〝天にも昇る気持ち〟とはこの事だ、

    しばらく話をさせてもらい、記念撮影。
    もちろん隣には美しい藤圭子、お付
    の人にカメラを渡し・・・撮影終了 !!!

    店に戻りすぐに近所の写真屋さんへ、
    「藤圭子と一緒に写ってるからきれい
    にプリントしてね。」 翌々日受け取り
    に(その頃はカラーの仕上げは3日)
    行くとショーック、写ってないィィィ?
    
「うそやろー!!!」『フィルムが巻かって
    なかったよ。』
 ショックでその日一日
    仕事ができなかった。

    
    とても悔しかったが、いい思い出だ。 

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2008年10月19日(日)
な~んにも無い!!!

           名前は???
        (撮影場所:高森町・上色見)
        ここ何日かの上色見の写真、
        すべて上色見小学校跡の裏
        の田んぼで写したものです。

    一日中〝とんぼ〟さんのメニュー作り、
    何処にも無いメニューになったと、一人
    でワクワクしています。
    これから御主人に見せに行ってきます、
    どんな反応を見せるか楽しみだが怖い。

            終わります。

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2008年10月18日(土)
掲示板に作品掲載

         セイタカアワダチソウ
        (撮影場所:高森町・上色見)
        阿蘇・フォークスクールの裏、
        後ろに見える山は根子岳。
        周りを見渡すと その雄大な
        風景に圧倒されそうだ。
        すばらしい !!! のひと言。

    一日中店にこもりっきりで書く事が無い。
    と書いていたら、みずきからの電話。
    『駐車場に止めていた車の後部座席の
    窓ガラスにヒビがはいっている。』と、
    メールで送られてきた画像を見るともう
    バラバラになる寸前。
    先日はアンテナで今日は窓ガラスか?
    頼むからも少し大事に乗って下さいよ。

     〝とんぼ〟さんの メニューの表紙が
     できました。  掲示板、見てください。
     掲示板はページの上のメニューから
     は見れません。 (只今故障中、)
     トップページから開いてください。
     依頼作品など数点載せてみました。
     2ぺーじに分かれています、 どうぞ
     見て下さい。(画像はクリックで拡大)

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2008年10月17日(金)
不思議だ、

           名前は???
        (撮影場所:高森町・上色見)
         花径2mm・背丈5~6cm、
         とてもかわいい花です。
         15日の花のとなりで・・・

            な~んにもなし、

         メニューの表紙の絵の作成、
         トンボを入れてのイメージと
         言えば夕陽に子供、とんぼ。
         なんとか描けたが絵が・・・・

        12日に書いた話、
      Kさんに教えてもらったとおり毎晩
      足を揉みほぐしています、不思議
      な事に足裏の冷えが治ったような、
      もうしばらく様子を見ないとわから
      ないが今のとこは OK !!!
      このまま治ってくれると嬉しいが。
      しかし不思議だ、足の2箇所の筋
       を揉みほぐすだけなんですよ、
       不思議だ、ほんとうに不思議・・?

       これから帰りますが
       帰りの愛宕山の坂、どうしても 
       上までペダルをこげず 途中で
       ギブアップ、今夜は?     

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2008年10月16日(木)
とんぼ

           名前は???
        (撮影場所:高森町・上色見)
       昨日の花と同じ田んぼの畦で、
       花径は約1,3cm、背丈約10cm。

      雲ひとつ無い真っ青な空、
      こんな日は自転車のペダルも軽い、
      思わず口ずさんでいた〝青い山脈〟
      古いほうの映画でなく、吉永小百合
      の〝青い山脈〟です。

      その〝青い山脈〟も愛宕山の坂道
      で止まった、 あとはヒィーヒィと喘ぎ
      足に力を入れ、ペダルを踏んで・・・

      友人達は今度の土・日は久住登山。
      Hさんは久住連山を縦走し法華院の
      山荘に宿泊、翌日大船の紅葉撮影。
      Uさんは長者原で宿泊、翌日 久住・
      中岳に・・・・・いいなァ、うらやましい。
      私はそれを現像して写真で楽しむ、
      登る体力が無いからしょうがない。
      自転車で足にしっかり力をつけ来年
      は同行できるようにしておこう。
      Hさん、Uさん、きれいな写真、期待
      してますよ。

      料理屋〝とんぼ〟さんのメニューを
      テストで1枚作り、店主さんに見せる
      と『見やすいね、』と OKを頂いた。
      店名の〝とんぼ〟に因みメニュ-に
     〝とんぼ〟の絡んだ絵を挿入予定、
      昆虫の絵は苦手だが今夜は昆虫
      図鑑とにらめっこ。  では・・・・・

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